2018年 09月 03日
奇蹟の輝き |
地獄の沙汰も"気の持ちよう"?
1998年 アメリカ
監督:ヴィンセント・ウォード
脚本:ロナルド・バス
出演;ロビン・ウィリアムズ、アナベラ・シオラ、キューバ・グッディングJr.、マックス・フォン・シドー他
2人の子供にも恵まれ、ただ幸せに過ぎる日々。
しかし、子供たちが自動車事故に巻き込まれ、亡くなった日から、生活は一変した。
悲しみに沈み、心を閉ざすアニー。
その心を癒そうとするクリスの必死の努力の甲斐あって、ようやくアニーは立ち直る。
その矢先、今度はクリスが事故死してしまう。
ひとり残されたアニーは、悲しみのあまり自殺し、その魂は地獄へ。
天国でその知らせを聞いたクリスは、彼女を救うため、自らの危険を顧みず、地獄へ向かう決心をする。……
※ネタバレまでいかずとも、やっぱり結構あらすじ語ってます。すみませんm(_ _)m
もう、8月も終わってしまいましたね…
できたら8月のお盆月に掲げたいと思っていたお話なんですが…
なんと月日の経つことの早いことよ…(´-`*)
(遠い目をしてごまかすな)(更新遅くてすみません…)
お盆には、あの世からご先祖様が帰っていらっしゃる、といいます。
"あの世"ってどんなところだろう…?
もちろんご先祖様は天国にいらっしゃるよね…そこで何してるのかな?
反対に、地獄ってほんとにあるの?
…ということで、今回は、
魂って、死んだあとどうなるの?
天国って、地獄って…?というお話です。……
2人の子供を失い、悲しむ妻を支えながらようやく日常を取り戻したところで、今度はみずからが事故で死んでしまったクリス。
彼は自分に何が起こったのかわからず、とまどいます。
事故に遭ったと思ったその次の瞬間、病院のベッドに横たわる自分を見下ろしている。
と、次の瞬間には自分の葬式を眺め、また気づくと自分の家で悲しむ妻の傍にいる。
事故で突然亡くなってしまった場合などは、こんな感じなのでしょうね。
彼は自分が死んでいるとは信じられません。
生前と同じように服をきっちりと着込み、存在も確かに感じられる自分。
「どこが死んでいるんだ」と、なかなか死を受け入れることができない。
しかし、妻に「自分はここにいる」と伝えようとしても伝わらない、強く彼女に語りかけると確かに通じるが、彼女は自分が異常を来したのではと取り乱す。
自分が傍にいても彼女のためにならない、自分がいるべき場所はここではない、と悟ったクリスは、ようやくあの世に通じるトンネルを抜けていきます。
このクリスの傍らには、若い黒人の姿をした魂がやさしく寄り添います。
どこか見覚えのある目をした彼は、クリスの恩師アルバートの名を名乗り、クリスが死後の世界に馴染むまでのガイド役を務めます。
このように、多くの人にとって、きっと死は決して恐ろしいものではなく、親しい友人のようにやさしくいざなってくれるものなのでしょう。
そしていざ"あの世"に来てみると…!!
そこは鮮やかな、色に満ち溢れた世界。
天国ってなんとなく、ふわふわした雲の上の世界をイメージしますが、ここは一面の草原、花、花、花、そしてその向こうの湖畔。
だいぶ趣が違います。
亡くなった人が、自分がいま生きてきたばかりの人生を振り返り、魂を休め、次に生まれ変わる準備をする場所。
自分が安心して休むためか、映画では、亡くなったそれぞれの人が自分なりの世界を構築している様子が描かれます。
"クリスの天国"は、よく見るとアーティストである妻アニーの描く美しい絵の中の世界で、アニーの心の動きによってクリスの世界も変わります。
出逢った初めからこの2人の間には強いソウルメイトの絆が存在し、亡くなってなお、魂は固く結ばれているのです。
この世界で、クリスは色鮮やかな花が咲き乱れる中、重力を無視して軽々と飛び跳ね、疾走し、子供のようにはしゃぎます。
この「中間世(?)」、他にも、同じような描写が出てくる映画があります。
『ラブリー・ボーン』(2009年・米ほか)。
主人公の少女が、亡くなったあと、ソウルメイトたちと出逢い、美しい草原や雪原で無邪気に駆け回って魂を休めます。
女の子が殺されてしまう悲しいお話ですが…
魂のその後が描かれることで救いがあります。
「中間世」らしき世界は
1:05あたりから。
ちょっとここで私事の余計な話をするのですが…
これら映画の中に出てくるのととてもよく似た光景を、私は子供のころに夢で見たことがあります。
私が見たのも、とても美しい、色彩に満ちた光景でした。
色とりどりの花に覆われた、どこまでも続くなだらかな丘陵地。
天空は、まぶしいくらいの光に満ちている。
そして気づくと、私は経験したことのない速さで疾走しています。
映画にもその描写がありますが、重力の無い感じ、足が地面に触れているかいないか、といった感じの疾走です。
そうしてふと横を見ると、同じような速さで走る光の球がいる。
あれ?と思うと、その光の球に急に顔の表情が表れ、嬉しそうに笑うのです。
当時、小学校で同じクラスだった〇〇ちゃんでした。
見ると、他にも並んで疾走する光の球がいっぱい。
みんな、そのときの同級生でした。
どの球も、表情も顔も実は定かではないのに、すぐに誰が誰だかわかったし、ものすごく嬉しそうな顔をしているのもわかりました。
自分の姿は見えませんでしたが、私もきっと光の球だったのでしょう。
そうして光と色の中を走って走って走って 、楽しくて楽しくて笑って、その自分の笑い声で目が覚めました。
私が見たのが「中間世」だったのかどうかは、わかりません。
ただ、長じてこれらの映画を観、スピリチュアルな本などを読むにつけ、あれはもしかしたら私の中の「あの世」の記憶だったのかもしれない、と思うようになりました。
そして、こうしてよく似た光景を映画でも見るということは、ほかにも同じような景色を見た人がいるんだろうな、とも。
(また、映画ではあの世でもみなちゃんと人の姿をしていますが、もしかすると本当は、私が見たようにただの光の球なのかもしれない、とも)
なぜそのころ、そんな夢を見たのかはわかりませんが(それに「あの世」の光景かどうかもわかりませんが)
ただ、当時のクラスメイトは、それまでの10年余りの人生の中で、私が(家族を含めて)初めてといっていいほど心を許し、信頼しきった関係を築いた友人たちでした。
その後も私は友人には恵まれていたとは思うのですが、それでも彼らは特別でした。
彼らが生まれる前からのソウルメイトだったとしても不思議はない。
それに、あの頃、あの夢を見、その言葉は知らずとも、自分には深い繋がりのあるソウルメイトたちがいるということを知るのは、その後の自分の人生にとっても、とても大切なことだったのかも知れません。
『奇蹟の輝き』トレイラー。
数年前にデジタルリマスター版が再販になってより美しく。
YouTubeムービーは日本語吹替版。
閑話休題。
映画に話を戻すと、そうして天国で過ごすクリスの元に、ひとつの報せがもたらされます。
アニーが亡くなったのです。
クリスは「やっと再会できる」と喜びますが、ガイドのアルバートは神妙に首を振り、「彼女は天国には来られない」と言います。
自殺したために、アニーの魂は永遠に地獄に堕ちてしまったのです。
クリスは地獄までアニーを救いに行くことを決意します。
周りは「地獄から戻ってきた魂はいない、一緒に地獄に堕ちてしまう」と反対しますが、彼の決意は固く、根負けしたアルバートは案内人を紹介して共に地獄へ向かいます。
この『地獄』は、まさに地獄です。
ひとことで言うと、"囚われた者たちの場所"。
そこにいる魂は、自らの悲しみや不安、不満、不幸などにとらわれ、抜け出そうとしません。
ずっと自分の身の不遇ばかりを嘆き、その場から動こうとしないのです。
クリスがようやく見つけ出したアニーも同様でした。
自分の悲しみに閉じこもって何にも関心を示さず、訪ねてきたクリスのこともわかりません。
果たしてクリスは彼女を天国に連れ帰ることができるのでしょうか 。
アニーの周囲に広がるのは、冷たく暗く、生気のない世界。
うつ状態の人の心の中そのままです。
その世界で、じっと動かないアニー。
これを見て思うのは、よく言われるように、「死んでも苦しみは終わらない」ということです。
アニーは家族を失い、一人になった辛さのあまり、自死を選びました。
しかし、この世の苦しみから逃避しようとしても、結局囚われた心は解放されることなく、同じ苦しみを延々と味わいながら"その人の地獄"で生き続けることになります。
悲しみは悲しみのまま、不安は不安のまま、不満は不満のまま…
ずっと、その中に居続けることになる。
そして、言い方を変えれば、生きている時からもう地獄は始まっているのです。
自分のためだけに悲しみ、自分勝手な怒りにばかりとらわれていれば、その人にとって世界はもう地獄なのでしょう。
しかし、とらわれの心を解放すれば、"地獄"は一瞬で消え去る。
いわば"気の持ちよう"で、地獄は地獄でなくなるのです。
この、"地獄の沙汰も気の持ちよう"ということについて、逸話をひとつ。
『前世療法』で有名なブライアン・ワイス博士の本の中に、退行催眠中に「地獄」に行ってしまった弁護士の話が出てきます。
彼はある前世への退行を終えた後、なぜか悪魔に囲まれ、火の燃えさかる地獄にいる自分に気づきました。
そんな人に出会ったことのないワイス博士は、驚きつつも注意深く見守りました。
弁護士は、しばらく経っても誰も彼に注意を向けないと言い、そしてある人物が近づいてくることに気づきました。その人物は彼に語りかけます。
「これが幻だということがわかりませんか?愛のみが真実なのです」
その人物はイエスだったのです。
そしてその言葉とともに地獄は消え去り、美しい光があたりを満たしたそうです。
地獄は幻想に過ぎず、世界は初めから光に満ちたものだったのです。
それを幻で覆い隠していたのは他ならぬ彼自身の心でした。
この弁護士の話のように、悲しみも苦しみも、本当は幻に過ぎないのではないでしょうか。
もちろん、実際は、深い悲しみも苦しみも、決して幻には見えず、その痛みは本物です。
でも、それらに囚われたままでは、心は地獄にいるままになってしまう。
ひとたび愛に目を向ければ、心は解放される "気の持ちよう"で地獄は消え去るのです。
世界は悲しみや苦しみのみで終わるものではない。
その向こうにある「愛」に目を向け、「愛」こそが真実であることを知るためにこそ、そうした経験はあるのではないか。
"気の持ちよう"などという軽い言葉で表現してはいけないのかも知れないけれど、こうして視点を変えることで、そのことに気づくことができるのではないでしょうか。
* * *
この『奇蹟の輝き』には原作があり、作者はSF・ファンタジー作家のリチャード・マシスンです。
彼の作品は他にもいくつも映画化されていますが、中でも特にロマンチックな傑作が『ある日どこかで』。
タイムスリップによって出逢い、恋に落ちるソウルメイトのお話で、『ドクター・クイン』のジェーン・シーモアと『スーパーマン』のクリストファー・リーブが主演しています。
とにかく美しい恋の物語です。
『ある日どこかで』
公式じゃないけどトレイラー。
主演の2人も風景も美しければ
劇中流れるラフマニノフも美しい。
そしてこの『奇蹟の輝き』に主演した俳優、ロビン・ウィリアムズ(『アンドリューNDR114』でも)。
数多くの映画でユーモアに満ちた神がかり演技を披露していた彼ですが、2014年に突然亡くなってしまいました。
皮肉なことに、その死は自殺によるものとされています。
アルコール依存症に苦しんでいた彼。
混乱して、自分がどういう状態なのかよくわからないまま亡くなってしまったのではないかという気がします。
もともとこの世界では生きにくいだろう、半分妖精のような人だとは思っていましたが…
上にも書いたように、実は地獄なんてものはなく、彼ももちろんそんなところにはいないことと思いますが、もし自責の思いなどにとらわれて幻の世界で苦しんでいるのなら
彼を愛する人たちやファンの声が届き、天国まで彼の魂が引き戻されてほしい。
そう切に願います。
* * *
映画では、クリスがその愛の強さによって、アニーを救えるかどうかが描かれます。
広い地獄の中で、アニーの元へとクリスを導いた、ソウルメイトの強い愛。
愛は、目の前にある闇を払い、囚われた心を解放します。
そしてそれは生きている我々にとっても同じことで…
苦しみや悲しみ、怒りにとらわれて生きるのが辛いあまり、死んでしまいたくなることは確かにあります。
でも、それでも魂はおそらく解放されない。愛に目を向けないかぎり。
「誰が自分のことを想ってくれるんだ」「愛なんてどこにも無い」「自分の愛は死んでしまった」
心が闇の中をさまよう時にはこう思うものですが、間違いない、愛は常にそこにある。
答え合わせのように、それがわかるときがきます。
愛はいつも、絶え間なくこの世界を流れている。
囚われた心のまま、闇の中に居るぐらいなら
"気の持ちよう"を変えて。
愛がそこにあることを思い出して。闇を追い払って。
心は必ず癒される。
そして、苦しみも悲しみも、その本当の姿は愛。
自分を地獄に落とすも天国に戻すも、自分次第。
そんな風に思うのですが…どうでしょうか。
長い…orz…読んでくださった方、本当に有難うございますm(_ _)m
なんか宗教っぽいことを言ってますが、私は無宗教の人間(強いて言えば仏教徒)でして…エラそうなことを言ってすみません…なんか…こう思うんだよなぁ、ってことを書いてたらこんな感じに…
すごい小さい人間(ていうかただのタコ)なのに…エラそうにすみませんすみません…m(_ _)m
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とにかく色の美しさが印象に残るこの映画。
この世界にあるものの一瞬一瞬の美しさ、あの世のまさに"極楽浄土"の美しさ。
画面から、生命と魂の輝きが溢れます。
色彩が美しい映画というのはたくさんあるもので…
その中で、特に私が好きなものを、ひとつふたつ…(小沢さん?(^^;(スピワゴ))。
『汚れた血』(仏・1986年)
寡作の監督、レオス・カラックスの長編2作目。
奇病がまん延する近未来の世界。虚無感にとらわれながら生きる青年アレックスは、ある日父の友人の恋人アンナに出逢うやひと目で惹かれて…。
と、ストーリーは一応あるのですが、あまり意味が無く。
不思議な虚無感漂う映像世界と、暴走する青春と、美しい色彩とが、ただ目に残ります。
画面のそちこちに現れる褪せた渋い赤、彼らの着る服のビビッドなカラー、肌の白さ、ジュリエット・ビノシュの黒い髪、赤い唇、ジュリー・デルピーのスモーキー・ブルーの瞳。
その色にひたすら見とれて、何度も何度も観た映画です。
こちらもデジタルリマスターでさらに美しく。
J・ビノシュはほんとに可愛かった。
『落下の王国』(印、米ほか・2006年)
インド出身の監督、ターセム・シンの長編2作目。
1作目『ザ・セル』でも、その独特の映像表現が話題となったシン監督。
この映画は、構想26年・撮影4年という、労力も思い込みもハンパない力作です。
ある青年が少女に聞かせる寓話、というのがそのストーリーなのですが、こちらもあんまり話はどうでもいい感じが(ごめんよ監督)。
なんといっても見どころは13の世界遺産、24か国以上でロケを行った映像の美しさ。
いわゆる特撮としてのCGは使っていない、というところがミソで、石岡瑛子の凝りに凝った衣装とともに、本物ならではの迫力に圧倒されます。
シン監督の映像は、『ザ・セル』もそうなのですが、ちょっとナマモノっぽい、ぬめっとした感じがあり、この映画も「ものすごく美しい悪夢」のようで、苦手な人は苦手かもしれません。
それでも一見の価値あり。(勧めとんのかけなしとんのかどっちや)
私はこれを劇場で観なかったことを心底後悔しました。
もし機会があれば。
綺麗だけどちょっとコワい…
独特の世界。
いかん、更新が完全に2ヶ月に1回ペースになってます…
ここンところ、本当に映画を観てなくて…20歳以降の人生で、最も映画を観ていない半年だったかもしれません。
勧められた映画どころか、自分が観たいと思っている映画すら観ていない…
書きたい映画は何本もあるんですが…
あぁ…映画観よう…
書こう…
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by 8pusmovie
| 2018-09-03 13:59
| スピリチュアルな映画
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